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よき同行者として

2025.12.15

サピックス教務本部

「登山」は類似点の多さから、学びのアナロジーとして使われます。そして、中学受験も学びの1つである以上、「登山」という例えに当てはめて、そのイメージは十分お伝えできるのですが、一般の学びとは少し異なる点があります。今回はその点を「登山」という例えを用いて説明します。

まず、我々が考える一般の学びとのちがいは、中学受験という「登山」には、「同行者が必要である」ということです。お子様自身が「地図」や「コンパス」を使う場合も、もちろんありますが、必ず保護者という「学びの経験者」が付き添って、「お子様の山道」を助言しながら一緒に歩んでゆきます。そして、山頂へは「時間を限って到着すること」が求められることも、一般の学びとの大きなちがいです。

そこで、同行者が気を付けなければならないのは、一緒に辿る山道は「自分が歩んだ過去の道ゆきとは異なる」という点です。登ろうとする山の形状は、お子様の個性によって大きく異なり、同行者のそれと同じということはありません。

また、同行者は過去の経験から、険しい山道へ分け入る意義を知っています。そして、登り終えた山頂から見渡す眺望の素晴らしさも、実感として承知しています。しかし、お子様にはそのような体験がない以上、「未来への期待」より「現在の困難」へ目が向かうことも、きっと多いだろうと思います。中学受験という山頂が間近になれば、その困難はより一層辛いものに思えるかもしれません。

その際、大切になるのは、「今までの道のりをお子様とどう歩いてきたか」ということです。道すがら、時には立ち止まって、咲き誇る草花や生い茂る樹木を観察したり、川の水の冷たさや木漏れ日の輝きに驚いたり、その道行きの楽しさや意義を味わえるよう、山頂までの長い道のりの中でしっかり関わってあげる、ということです。

お子様が気になったり興味を持ったりしたものには、(少しだけでも構いませんから)一緒に道草を食ってあげること。「楽しい」を分かち合ってあげること。これが困難に耐え、歩みを止めない力を生み出します。学年が上がれば上がるほど難しいと思うかもしれませんが、このような関わりに遅いということはありません。

お子様の解けた靴ひもを結わえ、降り始めた雨にコートを手渡すことも、もちろん大切です。ですが、このような「学びを楽しみ、共有できる」関わりこそ、苦しい「登山」に彩りを与えるばかりか、お子様が登頂を果たした時、それは「中学受験が独立峰ではなく、学びという果てしない連峰の端緒」だと気づく時でもありますが、その先にある高みを目指そうと自らを掻き立てる力になると、思います。私たちはそれこそ、中学受験における「何よりも尊い収穫」だと、考えています。