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好きこそものの上手なれ?①
2026.02.24
サピックス小学部 事業本部長 溝端 宏光
溝端 宏光
自分自身の小学生時代を振り返ると、テストで点数が取れるという意味では国語が一番得意でしたが、一番好きな科目は算数でした。
これは、前回のブログ「得意→不得意→また得意?」でも触れたことです。
前回のブログを読まれた方はお分かりだと思いますが、「得意→不得意→また得意?」というタイトルは、私自身の学生時代の国語の成績を表したものです。小学生時代に“得意”だった国語が、中学生・高校生の時期には苦手に変わり、大学受験の時期になって取り組み方を変えることによってふたたび点数が取れるようになったというエピソードですが、「点数が取れるようになった」=「得意になった」と判断して良いのかどうか自信が無かったので、「また得意?」という表現にしたわけです。
その後30年以上たった今でも「国語が得意になった!」という実感は全く無いのですが、こうしてブログを書くのにはある程度役に立っているのではないかと思っています。
この前振りでお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、今回のタイトル「好きこそものの上手なれ?」は、自身の小学生時代の算数について表したものです。
小学生時代、算数は一番好きな科目でしたが、それは、答えが一通りに決まる、正解か不正解かが瞬時にわかる、といったわかりやすさからくるもので、決して学問的な面白さに目覚めたわけではありませんでした。前回も触れた通り、ゲーム感覚で取り組んでいた結果だと思います。
別に自分自身を卑下することに喜びを感じているわけではありませんが、客観的に振り返って、小学生時代の自分は、決して褒められたものではありませんでした。
字は非常に汚かったですし、見直しもしない子でした。“必勝法”を教わったら喜んでそれを使っていましたが、“なぜそうなるのか”を考えようとはしませんでした。きちんとした解き方を思いつかない問題については“あてはめ”で答えを探していましたし、それで正解した問題については正解したことで満足してしまい、別の解き方を学ぼうとはしませんでした。
いま改めて文章にしてみると、ひどい小学生ですね…
私は関西の出身で、中学受験では関西の学校を受験したのですが、第一志望校は残念ながら不合格で、別の学校に進学しました。
その当時、関西の中学入試は多くの学校が3/1、または3/1・2に試験を行っていて、別の日程で試験を行っている学校は非常に少なかったと記憶しています。ですので、今のように受験パターンを組むという概念は無く、3/1に入試に挑んでダメなら公立中学に進学というケースも多くみられました。
私は、2月に別の県の私立中学校を受験して合格をもらってはいましたが、遠くて通うのが大変だということで、第一志望の学校の不合格が判明した後で、そのタイミングからでも受験できる学校をさがして受験し、合格することができました。先ほど述べた通り、選択肢の少ない中での話でしたので、第一志望の学校はキリスト教系の学校であったのですが、実際に通うことになったのは仏教系の学校でした…
ちなみに、その学校は私立の中高一貫校で、当時は男子校でしたが今は共学化されています。
その学校での生活については別のコラムで触れたことがあるのですが、野菜を植えて育てるという授業があり、収穫された作物の立派さで家庭科の点数が決まったこと、剣道の時間になぜか赤胴鈴之助のアニメソングを何度も歌わされたこと、修学旅行の集合時に駅の待合室で般若心経を集団で唱えさせられたこと、その後恐山に連れていかれたことなど、印象に残っていること、納得できなかったことを挙げればきりがないのですが、こうした経験から得られたこともたくさんありましたし、最終的には卒業時に「この学校で悪くはなかったな」と思うことができました。
当然ながら、中学受験で第一志望校に不合格だったという結果から、教訓として得られたこともあります。それが、算数の取り組み方についてでした。
見直しをしない子であったことは先ほど述べた通りですが、当時の先生方から見直しの大事さはくりかえし聞いていましたので、入試本番では見直しをしようとしました。
ですが、普段やっていないことを入試の場でいきなりやろうとしてもうまくいくはずがありません。結果として、算数で時間配分を大幅に間違えてしまい、後半の問題がほぼ手付かずになってしまいました。これが、不合格の大きな要因になったことは、合格発表後に得点を教えてもらったことで確認できました。
この経験から、普段やっていないことを本番だけでやろうとしても上手くいかないという教訓を得ました。このことが、塾講師として算数を教えるようになってからは活きていると感じます。
これには2つの理由があります。1つ目は、得た教訓を、実感を伴う話として子供たちに伝えていけることです。見直しをしないことでどれだけ痛い目を見るかは自分が一番よくわかっていますので…
そして2つ目は、子どもたちに対して完璧を求めすぎないでいられることです。
1つ目が大事であることは言うまでもないのですが、私としては、実は2つ目の方がより重要なのではないかと思っています。
子供たちに完璧を求めてしまうと、子どもたちの自己肯定感が上がりにくくなりますし、そうなると、前向きに取り組むことも難しくなってしまいます。
自分自身がある意味ろくでもない小学生だったからこそ、子どもたちに完璧を求めすぎずに済んでいる、子どもたちに足りない部分があっても「そういうものだよね」と共感できているのだと思っています。
共感をしたうえでアドバイスするのと、一段高いところから指示を出すだけなのでは、伝わり方には雲泥の差があります。
中学受験をするのはみな小学生です。小学生に完璧を求めすぎると、小さくまとまってしまいやすく、かえって成長を止めてしまうことになりかねません。
子どもたちの力を伸ばすためには、「できなくても仕方がないな」と良い意味であきらめる部分、つまり“遊びの部分”を残して対応していくことが大事ではないでしょうか。
タイトルに①とあった通り、この内容は次回に続きます。次回は、字が汚いことの意味や“必勝法”の扱い方、そして“好き”であることの効能について触れたいと思っていますが、今回のブログがそうであったように、書いている途中で違う話に脱線してしまうかもしれません。
できる限りそうならないようにしようと思いますので、引き続きこの話におつき合いいただけますと幸いです。